ヤマ

18日、火曜日。
私は父の主治医に呼ばれて、一人で病院に出向いた。
先生は「お一人ですか?」と驚いていらしたけれど…。父に関する一大事は、娘の私が引き受ける覚悟は出来ている。

先生は仰る。「今、重篤な肺炎をこじらせていて、非常に危険な状態です」

これまでにも、あの人騒がせな父は、何度もこういう場面があったではないか。

「先生、弟が『もって年内でしょうか』と言っているのですが」
と、お尋ねすると…
「年内?いいえ!申し訳ないが、今夜か明日の夜がヤマでしょう。急変を覚悟をしておいて下さい」
と…。

「今夜か明日の夜がヤマでしょう」…この言葉には、さすがに堪えた。

約二年に及ぶ闘病だけれど、「最期」の時って…こんなにも呆気なく訪れるものなの?
抗うことは出来ないものなの?

主治医曰く、体力が相当落ちていること。薬に耐性が生まれつつあって、段々と効かなくなりつつありこと。肺炎が重篤であること。
以上のことを考えると、「これまでとは違います」との見解だった。

「勿論、お父様が、我々の診立てを良い意味で裏切って、ああ!お元気になられましたね!ということが一番なんですよ…」
とも付け加えて下さった。

病室に入ると、身体のあちらこちらに機械のコードを付けられて、ぐったりとした父が目を開けていた。ベッドの脇の機械は、カラフルな数字が時折点滅を繰り返している。
酸素マスクで、息をすることは助けられている様子。呼吸が浅いのは、気になるけれど。

やっぱり、不出来な私は言ってしまう。

「お父さん、頑張って!今回の肺炎も乗り切ろうよ!そして、お庭のお散歩をしましょうよ」

…苦しそうな父を見ていて、「早く楽にしてあげるのではなかったのか」。
ここで、私の娘としてのエゴが出る。


私は恐いのだ。ひたすらに…。

これまで、父に認めてもらう為に何でも頑張ってきた。
父の喜ぶ顔が見たかったから。

けれど、父の肉体がなくなってしまったら…私はどうしたら良いのだろう。
何を目標に生きていくのだろうか。

このような感情は「特殊」なのだと思う。けれど、これが「共依存」という関係だ。

今、毎日、顔を見に病院に出掛けている。
「お父さん」と、後、何度呼ぶことが「出来るのだろう」…そう思うと、呼びかける声にも力が入る。


現在、午前4:15
「急変」を知らせる電話は…まだない。


7:00  
とうとう病院からの電話はかかって来なかった。

私にとって、金曜日の朝を迎えるというのは「悲願」であったから。今、心から安堵している。


私の願いは、自分勝手で傲慢なものだと分かっている。
けれど、父の肉体が亡くなった後の自分がどうなってしまうのか。


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私の尊敬する「聖路加病院 理事 日野原重明先生」がいつも仰っている言葉。

「長く生きたから、それを長生きと言うんじゃありません。どう生きたか。それが問題なんですよ」

私はこの言葉に支えられてきた。
そう考えると、父は充分に「父らしく」生きたのかもしれない。



あの頃…

(4年前。元気で愉快で…沢山、笑ったね!)



金曜日に父のお見舞いに行かれるなんて、思ってもいなかった。
又、今夜も会いに行こう。




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2011/10/21 09:58 | 父のことTRACKBACK(0)  TOP

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