自分中心主義

11月29日の記事、「嫌われる勇気」
その後。

さて、父から電話は掛かってくるか否か!もうどうにでもなれ!好きにすればいい!と思っていた「父との別れ」から三日後、電話が鳴った。

静かで落ち着いた声。冷静な声。

「今回のことは、本当に申し訳なかった。反省している。きちんと理解したから…」

さすがに「許してくれ」とまでは言わなかったけれど、父の気持ちは充分に伝わった。
昭和ひとケタ生まれの父が…それも九州男児が、娘に謝罪するなんて。

分かった。でも、もう二度と我が儘を言っては駄目よ。苦しいのはお父さんだけじゃ無いのだから。あんな山の中の病院に入院させている娘の気持ちも考えて。

もう8年ほども前。私は父が脳腫瘍で入院していた病院のカウンセラー(50歳を少し過ぎた様な印象の女性)に言われたことがある。

「アナタは、お父さん依存症では無いですか?」
「お父さんには生きる権利も勿論ありますけど、死ぬ権利だってあるんですよ。それを邪魔する権利はアナタにはありません」
「ご自分のことを先ず、お考えになったら如何ですか?」

権利、権利…と繰り返す。

確かにその時、私は「特発性血小板減少性紫斑病」で西新橋の大学病院に入院中だった。看護師にベッドからの移動を禁止されていたけれど、お願いして公衆電話の所まで連れて行ってもらった。
父のことを放っておけない。
一人で居る父のことが心配で堪らず、カウンセラーに相談をしたかった。


        

正面・父

(2年前の父)



8年前の秋、父は脳腫瘍が発見され、手術も無事に済んだ。すると、脳外科の看護師長は私に言った。

「毎日、15:00~21:00までは病院に居て下さい。でなければ、お父さんは夕食を食べられませんよ」

は?私が?営業職で仕事をしている私が? 何でも人手が足りないのだと言う。
身内の居ない人はどうするのだろうかと思ったけれど、幸い、会社は休職を許可してくれた。一ヶ月間、毎日、片道一時間掛けて、お茶の水の病院に通った。

父の退院が決まった途端、気が抜けてしまった。ふっと。そして、三日後、私は掛かり付けの大学病院に入院したのだ。
父は、退院した三日後から西新橋に通うハメになった。母をとうに亡くしているので仕方ない。弟はきっちり独立しているのだし。

こんな親子関係。私達はそっくりだと、よく言われる。うーむ、困った。

「人の振り見て我が振り直せ」

私達親子のためにあるような言葉。

今日は友達から、私を心配するメールが届いた。
「Natsu は自分中心主義だ」と。
これまでなら、腹を立てて怒りに任せて返事を書いたと思うけれど、今の父を見ていて思う。

私も変わらなくては。人間は一人では生きていかれない。
父も私も。

                                         横顔


※注 特発性血小板減少性紫斑病

点状出血からうっ血斑まで大小さまざまな大きさの出血斑が全身に出現します。場所は外力が加わりやすい四肢、顔に出てきます。そのほか、鼻血、歯肉出血などを伴うこともあります。
全身に出血斑があり、出血が止まりにくく、血液検査で血小板の数が8万/mm3以下に減少していますと、診断がほぼ確定します。




2008/12/04 18:38 | 父のことCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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