門司港ホテル チェックアウト

人力車を降りた私達は、二枚目の彼に丁寧にお礼を言い、早めの夕食を済ませる為に港のイタリアンの店に入った。
本当は父は「ちゃんぽん」を食べたがったのだけれど、お兄さんお勧めのその店は、あいにく「休憩中」の看板を出していた。

そう言えば、前回、下関を父と訪れた時、私は…今では何があったのかは覚えていないのだけれど…切ない気分で、一人叔母の家を出て船に乗った。そうしてこの門司港のカフェで、港を見つめながら何時間も一人でコーヒーを飲んでいた。
そのカフェの隣のイタリアン。思い出す。

あの日も雨だった。あの日の「切なさ」が一瞬、鮮明に蘇った。

カフェで一人浸っていると、携帯の着信音が鳴る。見れば叔母の名前が点滅している。「もう夕食の時間じゃけえね。どこにおるんか分からんけど、すぐ帰ってこんかね」と。切なさも飛び、又、船で下関に戻った。

だから懐かしい。父とは違う想いで、私はこの港街が好きなのだ。

20:00にホテルを出て、21:30に戻るバスツアー。客は4人だった。しかも、驚いたことに、一緒に参加されたご夫婦は、父のマンションからそう離れてはいない隣の町の住人だった。バスの中の雰囲気も和らぐ。

好青年であるホテルマンが、バスツアーのガイドだ。一つ一つ、丁寧に「歴史」の話を聞かせてくれる。知らないことばかり。
幼い頃に「帰郷」する父に連れて来られると、海水浴や山に登った。親戚は、東京の子供の為に蝉取りや花火で楽しませてくれた。

なので…神社の由来、源平合戦の顛末、「赤間神宮」に眠る安徳天皇の話…なんて知らずにいた。
実際に合戦のあったその土地で、歴史の話を聞かされるのは興味深い。

父に、いちいち「知ってた?」と尋ねる。
「当り前だろう。常識だぞ」と返される。

外観

この日は、私の中の知識欲が満たされた。気持ちも脳も快い。


関門大橋の海峡にかかる灯りを美しいと思う。

休憩のための高台では、門司も下関の港も両方目に入る。門司港ホテルがキラキラと輝いている。
バスは再び、走り始める。

あら?

このトンネルは「関門トンネルでは?」

え?さっき来た場所に戻るのだ。そんな行程は聞いていなかったので、可笑しくなって父と二人、笑ってしまう。何だか愉快な気持ち。

「おばちゃんさ、又、私達が近くに居るなんて思っていないだろうね」

実は私は、極端な閉所恐怖症だ。海面下56mにある海底トンネルが苦手。胸が苦しくなる。
私は幼い頃、このトンネルを通る度に「海の水が漏れてきたらどうしよう…」と真面目に恐ろしかったのだ。3,461mの長い距離。もう完成から50年になるという話だった。

どうにか耐えた。帰り道は「関門大橋」 。高いところは大好きなので、気分よく門司に帰る。
そうして、1時間30分の予定のツアーを2時間近くかけて、ホテルに戻った。



部屋



部屋に戻ると、私は部屋の照明を全て消した。
大きな窓には、対岸の灯りが浮かんで見える。右手の関門大橋は、点々としたオレンジのライトを均等に光らせ、道ゆく車を照らしていた。

どれだけの時間、親子で窓の外を見つめていただろう。この夜景に別れるのには、決心がいる。

「おい、そろそろ寝ようか」

父が言う。仕方ない。時間は無限では無いのだもの。私は何かを吹っ切るように、木製のドアをパタンと閉めた。
新大橋



Fさんと



(上の写真 矢印 関門大橋&父のお友達のFさんと)


今回の旅は、父の為ではない。きっと私の為。

入院生活を自力で乗り切った父。
「自宅に戻るなら、何があっても覚悟して下さいね」と言った主治医の言葉。

娘として…もう何があっても「覚悟」は出来た。

お父さん、一度も喧嘩しないで旅行したの、今回が初めてだったね はーと


2009/03/05 15:49 | 旅行のことCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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