「最上の業(わざ)」 → 一部訂正

先日の長岡先生、追悼の記事に『ホイベルス神父の「人生の秋に」』という随想集から、「最上の業」を転載しました。

ところが、昨日。お式に参列した友人より連絡がありました。

「なっちゃん、一節、抜けているところを見つけたよ」って

なので、下記に訂正させて頂きます。

赤字の部分が全て抜けておりました)


この詩は繰り返し、読めば読むほど言葉が胸に沁みてきます。
救われるような安堵感を得ます。



「最上の業(わざ)」


この世の最上の業(わざ)は何。

楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうな時に希望し

従順に平静におのれの十字架を担う。



若者が元気一杯で神の道を歩むのを見てもねたまず、

人の為に働くよりも謙虚に人の世話になり、弱って

もはや人の為に役立たずとも親切で柔和であること、

老いの重荷は神の賜物。



古びた心にこれで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行く為に。



おのれをこの世につなぐ鎖をすこしずつ外していくのは

まことにえらい仕事--こうしてなにも出来なくなれば、

それを謙遜に承諾するのだ。



神は最後に一番良い仕事を残して下さる。

それは祈りだ。

手は何も出来ないけれども最後まで祈ることが出来る。



愛する全ての人の上に神の恵みを求める為に

すべてをなし終えたら臨終の床に神の声を聞くだろう。

「きたれ 我が友よ。 我 汝を見捨てじ」と



 ホイベルス神父の「人生の秋に」という随想集より


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何度読んでも、胸に響く言葉たちです

私はクリスチャンではありません。実家は禅宗です。
けれど、人を救う言葉に、宗教の壁は無いのだなぁと…しみじみと思います。




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2010/10/25 12:13 | 訃報COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

追悼 女優 長岡輝子先生

今日の夕方、ネットのYahooニュースに「女優 長岡輝子さん 死去」という文字を見つけ、一瞬にして視線は涙で遮られた。

とうとう…。やってきた、この日。
いつかは来るであろう、この日。

高校を卒業して、演劇の道に進みたいと家族に話した時「文化学院なら良いでしょう」と許可が出た。
両親は、筋ジストロフィーの私が芝居の道を志すことを、とても心配していたから。

けれど、「文化学院」で過ごした「時」と「出会った人」は、私の生涯の宝物になる。

演劇コースで芝居の指導をして下さる先生のお一人が、長岡輝子先生だった。

「言葉」の発音に、それはこだわっていらして…私は何度、先生を失望させただろう。

「アナタ!宝塚じゃないんですから、普段の生活で使うイントネーションで言葉を言ってご覧なさい」
ところが、これは意識をすると仲々難しい。ついつい「男役」になってしまって、「気持ち悪い!」と叱られる。

けれど、私は愛情に溢れ、宮沢賢治を愛する先生が大好きだった。

学院を卒業してからも、先生の授業に紛れ込んだ。


長岡先生2
『来歴・人物』

東洋英和女学院卒、文化学院中退。初出演作は『風にそよぐ葦』(1951年 春原政久)。
1928年にパリに演劇修行に留学し、1930年に帰国。金杉惇郎とテアトル・コメディを設立。1939年文学座へ。
1947年、芥川比呂志、加藤道夫、荒木道子などと共に劇團「麦の會」発会。1971年に文学座退団後は、宮沢賢治の作品聖書などの朗読をライフワークとしている。父は英文学者の長岡擴(ながおかひろむ)。
2003年、菊池寛賞受賞。

2010年10月17日の時点で存命している日本の芸能人としては最高齢であった。同年10月18日、老衰のため102歳でその生涯を閉じた。

何年か前、文化学院に用事があって出向いたことがある。
そこで気を利かせて下さった事務局の方が「先生にお会いになりたいでしょう」と仰って、私は高鳴る胸を静めながら先生の車が着くのを待った。

黒塗りのハイヤーが学院の中庭に入ってきて停まり、ドアが開くと運転手が降りて来て後部座席に座っていらっしゃる先生の手を取って降ろしてさしあげていた。

やっぱり、お年を召されたんだなぁ。
それはお互いに一緒だけれど…と、考えながら先生にご挨拶をした。

杖をついて歩く私の姿を見た先生は「あなたも足がお悪いの。お互いに大事にしましょうね」と仰った。

白くすけて見える肌が、その日は少し青く感じる。お元気がないのだろうかと心配になった。


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長岡先生

そうして、今日の午後。

ネットのYahooニュースで、先生が亡くなったことを知りました。

その前後に、学院の演劇コースの先輩からメールでの知らせもあり。

左の写真の、この笑顔を目にすると、涙が溢れてきてしまいます。

いつも授業で読んで下さった「宮沢賢治」が思い出されて。

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18日の未明に亡くなり、近親者のみで式は執り行われた…と、夕方のニュースで流れていた。
私はどうにも、切なくて。先生に一言、お別れが言いたくて。

先生に近い同期のMちゃんに電話をした。

彼女は、長岡先生のごくごく近しい立場にある。

「今日の告別式に行って来たの。だけれど、近親者のみの告別式だったから、誰にも伝えることが出来なくてね。
先生、眠る様に安らかなお顔をしていたよ。

そして、出棺の時には、先生がよく朗読の会で読んでいらした『最上の業』(サイジョウノワザ)が、先生の声で流されたの。その時は、やっぱり泣いちゃった」

その詩を、読んでくれると嬉しいな…。

そう言われて、調べてみたものが、この「ヘルマン・ホイヴェルス」の言葉です。



長岡先生のご冥福を、心からお祈り申し上げます。




「最上の業(わざ)」



この世の最上の業(わざ)は何。

楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうな時に希望し

従順に平静におのれの十字架を担う。



若者が元気一杯で神の道を歩むのを見てもねたまず、

人の為に働くよりも謙虚に人の世話になり、弱って

もはや人の為に役立たずとも親切で柔和であること、

老いの重荷は神の賜物。



古びた心にこれで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行く為に。



まことにえらい仕事--こうしてなにも出来なくなれば、

それを謙遜に承諾するのだ。



神は最後に一番良い仕事を残して下さる。

それは祈りだ。

手は何も出来ないけれども最後まで祈ることが出来る。



愛する全ての人の上に神の恵みを求める為に

すべてをなし終えたら臨終の床に神の声を聞くだろう。

「きたれ 我が友よ。 我 汝を見捨てじ」と


 ホイベルス神父の「人生の秋に」という随想集より






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2010/10/21 01:01 | 訃報COMMENT(10)TRACKBACK(0)  TOP

訃報

たった今、知りました。


俳優「佐藤慶」の訃報。

芝居に夢中だった「文化学院時代」のことが、脳に一瞬フラッシュバックして…泣けてきます。
佐藤慶さんは、文化学院時代の同期のお父様なのです。


佐藤慶



学院の公演中、子煩悩な佐藤慶さんは…一生懸命にご子息の出演する舞台をカメラに収めていらっしゃいました。
あの姿が忘れられません。

演劇界の重鎮でありながら、私達「演劇コース」の自主公演・卒業公演には何度も「観客」としていらしていた親心。
私たちも、「親を亡くす」…そんな年齢になったのだな…と思ったら、こみあげてくるものがありました。

葬儀は近親者のみで行われたとのこと。
私は友人に、お悔やみのメッセージの伝言をお願いしました。

心より、ご冥福をお祈り致します。




 ニヒルな名わき役、俳優・佐藤慶さん死去 (読売新聞 - 05月06日 12:00)


知的でニヒルな風貌(ふうぼう)で、存在感ある脇役として数多くの映画、演劇、テレビで活躍した俳優の佐藤慶(さとう・けい=本名・慶之助=けいのすけ)さんが2日午後4時19分、肺炎のため亡くなった。81歳だった。

告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、純さん。


福島県会津若松市出身。県立会津工業学校卒。終戦後、会津若松市役所に勤めるが、演劇活動に熱中して退職、上京した。1952年、俳優座養成所に4期生として入所、同期に仲代達矢さんらがいた。

59年の映画デビュー作「人間の条件・第三部、第四部」(小林正樹監督)で、インテリ脱走兵を演じて強い印象を与えた。その後も「切腹」「怪談」「日本の青春」などの小林作品に出演、「東京裁判」ではナレーターを担当した。


また、大島渚監督の「青春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」「白昼の通り魔」などに続けて出演、大島作品にはなくてはならぬ存在となった。そのほか、新藤兼人監督「鬼婆」、今井正監督「武士道残酷物語」などに好演。ヤクザ映画やアクション映画などでも印象的な悪役として強烈な存在感を示した。

大胆な性描写を含む81年の武智鉄二監督「白日夢」に出演して話題になったこともあった。その後もさまざまな映画やドラマで、重鎮的な役を演じ続けた。

テレビドラマでもNHK「太閤記」「ザ・商社」、NET(現・テレビ朝日)「白い巨塔」などに出演。日本テレビ「知られざる世界」などのナレーターとしても活躍した。




2010/05/06 17:53 | 訃報COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

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